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武士道ワンポイントレッスン
20回目のテーマは「仕事と遊び」
仕事をするということは、先ずは誰もが自分の生活を支えるためにしています。
言い換えると「お金を稼ぐため」に働いているということです。
しかし、生きていくために必要なもの、例えば、食べ物、着る物、寝具、文具、家電など生活をする上で最低限必要なものを買うために働いていることも確かです。また、少しゆとりが出てくると、趣味や娯楽のために使うお金、車や海外旅行、ブランド品など欲しい物を買いたいと思います。ただ単に、この様なものを買い、貯金をして、目標は結婚する事、なとど言っていたら、長い人生を考えた場合、いかがなものなのでしょうか?
結婚が悪いといっているのではありません。
結婚に夢をもって、結婚したらどうしたいのか? という目標を持つことが望ましいと申し上げているのです。
仕事をする目的が生活費のためであり、最終目標が結婚だったとしたら、結婚した後は辛さしか残っていない・・・となってしまうのではありませんか?
せっかく生まれたこの一生を、後悔しないで済む様に思いっきり遊び、それを思いっきり楽しむ。
この様な生き方をしたら苦しい事が起きても乗り越える力が湧いてきます。
それを、ただお金を稼ぐためだけに働いていたら、殺伐とした精神状態になり、心の潤いがなくなってしまうのも道理です。
仕事は苦しいものという考え方は西洋の考え方です。
だから、西洋ではリタイア(定年)を迎えると「おめでとう」と言います。
日本でそんなことを言ったら落ち込んでしまいます。
日本では「まだまだ、あなたの力が必要なのに残念です」と言うと喜んでいただけます。
それでは、仕事とはどの様なものなのでしょうか。
一言で言うと仕事とは「遊びの一つ」です。仕事も遊びなのです。
サーフィンが趣味で仕事の合間に遊びに行く人がいますが、プロのサーファーやサーフィンの講師はサーフィンが仕事です。
映画を観に行く人はたくさんいます。
平素の疲れを癒すためだったり、ストレス発散だったり理由は色々ですが、映画評論家は映画を観ることが仕事です。
ヨガも、ピアノやギターも、趣味の人もいれば仕事の人もいます。
つまり、仕事と遊びの境目は「誰よりも上手になるくらい努力したか、適当にしたか」なのです。
今皆さんは仕事をしています。そ
れは、他の誰よりも一生懸命努力したことが仕事になっているはずです。
そんな努力をしてこなかった・・・とおっしゃる方は、人生も何となく過ごしてきてしまったはずです。
資格のない事務員だから命がけでやるほどではないと思う人、それは間違いです。
どんな雑用でも一生懸命取り組めば、生き方も評判も変わってきます。
事務の仕事が雑用ばかりだったら、誰よりも上手にコピーを撮ったり、どんな美味しい喫茶店にも引けを取らないくらい上手にお茶を入れたりすれば、それがまた新たな仕事になります。
この様に、仕事とは誰よりもその事について努力した結果なのです。
だから、遊びの延長線上にあると思ってよいわけです。
それならば、今与えられた事を、誰よりも一生懸命に、誰よりも真剣に、誰よりも工夫したら、今後どの様な結果があなたを待ち受けているでしょうか?
想像してみてください。
楽しくて仕方なくなるはずです。
努力は中途半端にしていると苦痛になります。
真剣にならずにいい加減にしていると嫌気がさしてきます。
工夫もしないでただ毎日同じ事を繰返していたら飽きがきてつまらなくなります。
仕事とは、当たり前のことを誰よりも一生懸命取り組み、夢中になって努力をし、真剣に工夫をすれば、何よりも楽しい遊びなのです。
2010年8月16日 11:27 PM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
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相談コーナー 武士道精神で『悩みに答える!』 第7回
《質問》
私の身近な人で、潔癖な嫌中韓の方がいます。
まだ続く韓流ブームや菅談話にも反応しています。
気持ちは分かるので怒りたくなるのは分かりますが…
怒る事に意味はあるのでしょうか?
匿名希望
【お答え】
この類の内容では、村山元総理を思い出しますね。
隠れてやらないで、正々堂々とやって!
とおっしゃっりたい気持ちは良く解ります。
また保守派政治家の方でも、この様なことに関する件で訴訟問題にまで発展している方もいらっしゃいます。
確かに、保守派政治家の方は正しいことをおっしゃっていますが、やり方が過激に感じることもあり、反対派に対する説得力が不足しているように思います。
ここが『気持ちはわかるけど……意味あるの?』と感じてしまうところではないでしょうか。
私も大東亜戦争や竹島問題、尖閣諸島問題に対する中国や韓国のやり方には全く賛成出来ませんし、日本の対応にも納得いきません。
この65年間に日本のお陰で良くなった所は公表せず感謝せず、でも66年以上前のしかも悪いところのみを挙げてやり込める。
竹島や尖閣諸島も無法な乗っ取り行為だと感じていることも確かです。
でも、私は中国人は大好きですし、親友と思える友人が二人もいます。
また中国漢方では本当に助かっています。
韓国人も同じく嫌いとは思ったことがなく、以前知らずに仲の良くなった友だちが韓国人で良い人でしたし、朝鮮人参やトウモロコシ茶は養生に役立っています。
もちろん、中国料理も韓国料理も大好きです。
だから反嫌中韓でも、賛嫌中韓でもありません。
“嫌”と言っている間は相手と同じ土俵で争っているだけですから、五十歩百歩だと思っています。
また自分を否定する相手の事を良く思えるわけがありませんから、決別するだけです。
そうなればいつまでも闘争が続いてしまいます。
もっと高い位置に自分がいくように努力をしないと、相手の考えを改善させられません。
高い位置とは、地球の平和と人類全ての幸せを考えて判断をする状態を指しています。
決してお金や権力や地位を指していません。
己の意に反することも否定せず認めて、且つ自分の意見を持ち続け、バランスをとりながら相手の考えを正していく忍耐力と持久力がないと、自分の思いは遂げられないものです。
これが“人の器”というもので、許容量とも言います。
つまり“寛容さ”があるから、指示を得られるのです。
寛容さがないと、各々が自分の都合を必死に主張しあいます。
結局、闘うしかなくなります。
初めは言い争い程度が、激昂して腕力に頼ることになり、最後には武力でケリをつけるようになってしまいます。
それが戦争です。
又手放しで言いなりになっていては植民地にされてしまいます。
笑い事では済まされません。
だからこそ、核爆弾を全世界の国々が持とうとするのです。
私は原子力大賛成ですが、原子爆弾(核爆弾)は大反対です。
今の日本は核爆弾だけでなく原子力エネルギーまで反対しています。
爆弾とエネルギーの区別がついていない発言が目につきます。
また、憲法9条も平和を守る良い法律でしょうが、日本だけが守ろうとしても役には立ちません。
憲法9条は日本国内ではなく、世界の憲法にするよう活動をすべきであると思います。
テポドンを日本上空を飛ばすような不届きな国の憲法でなければ意味がないのです。
日本の平和ボケと言われる所以です。
日本国内では、もっと愛国心を育む教育を立憲する活動をして頂きたいと思います。
でも私も今回の菅総理のやり方はよくなかったと思います。
菅総理は元々が社会運動家だったとお伺いしていますから、想像の内ではないですか。
でもそういう民主党を与党に選んだのは日本国民です。
日本を良くするために投票した人が何人いるでしょうか?
信念なく自分の生活を良くする為に投票をしているから、実態のない甘い言葉についつい魅せられてしまうのです。
個々人の幸せも大切ですが、それを中心に考えていれば、まとまりがなく誘惑に惑わされやすくなります。
今の政治に不服ならば、今後は判断を間違えない国民にするために、どうしたら良いかを考えるのが、正しいことをする人間のやることだと思います。
良い政治家がいないと嘆いているなら、自分が政治家になればいいですし、良いと思う人を推挙すればいいわけです。
それもいないなら、教育を徹底していけばいいわけです。
何もしないで文句を言っていては民主国家は上手く立ち行きません。
私はその対策は、武士道を世界に広めることだと確信しています。
だから、時間がかかっても焦ったり苛々したりしません。
やることが見えていますから、対策を考えるだけですので、夢があります。
この世界を真から平和で幸せにしたいし、いつまでも青く美しい地球であってほしいのです。
目には目をで対応するような低次元で破壊的では、相手と同レベルでしかありません。
腹を立てたら冷静さを欠きますから、失敗しやすくなります。
正しいことを言っているのなら、なおのこと是正の仕方を冷静に多角面からの視野を持って考えないといけないと思います。
改革といっても、人が交代して金と権力と地位が譲渡されただけでは世の中は決して良くなりません。
世の中を良くしたいなら、怒りなどのバランスを欠く思いは捨てて冷静に無我無私の境地にならなければなりません。
山岡鉄舟のようにお金も権力も命も名誉も要らないとならなければなりません。
西郷隆盛のように、敵の立場も認めて、大局で判断をする力を持たなければなりません。
そうでなければ、改革をなど容易に成し遂げられるものではないのです。
それには人の心を育む“徳育教育”と偉人の生き方を学ぶ“活学”が必要不可欠です。
学校教育に道徳と活学を中心とした日本史(国史)をとりもどさなければなりません。
世界史が必修科目で日本史が選択科目では話になりません。
西欧のトップに認められるには、相手国の歴史や文化よりも自国の歴史と文化を知っている事が大切なのです
サッチャー氏がイギリスを再興させたのも、母国を誇りと思えるような教育を施したからです。
今の政府官僚が8月15日に靖国神社へ参拝をしないでいる日本人の姿は、父親が自分の子供を守って人を殺めたら、我が子からお墓参りを拒否されたのと同じだと思います。
我が子を守るために人を殺めた父親が死刑になった時、その子供本人やその家族や親戚が
『お父さんは人殺しで犯罪者だから墓参りには行くのをやめよう。
私を守ってくれた父親よりも、喧嘩相手の遺族の言うことの方が大事だよ。
先祖の墓に父は入れてはいけないと喧嘩相手の遺族達が言っているのに、私たち家族は父を先祖の墓に入れてしまったから、これ以上もめると嫌だし悪く思われると困るから、みんんなで命日にもお盆にも墓参りに行くのは止めておこう』
などと信じられないことを言っているのと同じではないでしょうか。
やはり、もう一度考え直さなければ、日本に明るい将来はないと言えます。
それには、独立している他国の政治に、外国人が口を挟んだり圧迫することが非常識なことなのだということを、誤解している人たちに理解し納得てもらえるようにするにはどうしたらよいかを考える必要があります。
それには誤解している人たちに“嫌”などといっていてはいつまでたっても平行線ですし、その“嫌”を付けて呼んでいる人たちこそが、幸せになってくれなければ、理解などしてくれるわけがないのです。
だから、地球のみんなが幸せであるように、誰もが健康であるように、全員の大難が小難に、小難が無難になりますようにと念(おも)うことが必要なのではないでしょうか。
その上で対策を考えなければ答が見つからないと思います。
だからこそ、感情的になっていたり、憎しみや怒りに包まれていたら、対策が練れないし案も浮かばなくなってしまいます。
怒る必要があるかないか?
これで答えは出たと思います。
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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第10回目のテーマは「洗脳と信念」
実は洗脳されているのは、今生きている我々です。
日本軍の兵士たちではありません。
新興宗教団体だけではありません。
宗教にのめりこむと怖い・・・これは誰で思う事でしょう。
新興宗教を信仰している人からはお叱りを受けるかもしれませんが・・・一般論を書かせていただきます。
宗教にのめり込むと、自分自身の判断力も決断力もなくしてしまい、教祖の言いなりになって自分や家族の行為行動の判断までゆだねてしまいます。
これは宗教だけではなく、有る特定個人に対してでも当てはまりますし、また、暴走族や一般企業の営業畑などの組織でもカリスマ性の高い統率者の下では有り得る事でしょう。
それを宗教では「教えに従う」とか「すがる」などという表現をし、その他組織では「掟に従う」とか「決まりや規則・規定に従う」と表現をしているはずです。
要は、その教えに従うことを自分だけでなく、周囲にも強制したり、言い張ったりするところに問題があります。
掟であっても規則であっても、周囲の状況や社会的迷惑なども加味せずに、強制的に従わせてしまう事が問題だと思うのです。
これは、何年か前にサリン事件を起こした新興宗教団体で、立派な学歴や知識を持った人が罪を犯していきました。
しかも、イジメやリンチをしていました。
正しい生き方を教えているはずの宗教団体がリンチや人殺しをしていました。
でも、世界では宗教戦争がとても多いですよね。
不思議でなりません。
それでは、このような恐怖なできごとは新興宗教だけかというと、そうではないのです。
カリスマ性があるリーダーなどと表現される人がいる集団にも近いものがあることをご存知でしょうか。
私が聞いた営業畑の例では、
「一日に必ず○本の成果を上げて来い」と言われ、夜の10時になって「半分しか成果が上がりませんでした」と言って帰社しようとしたところ、「○本上げて来いと言っただろう、上げるまで戻ってくるな」と言われたそうです。
そこで、「もう夜10時過ぎたので訪問できません」と言ったところ、「ふざけるな、警察もコンビ二も病院だって24時間営業してるぞ」と言われ、泣く泣く活動を続けたということです。
「えー、迷惑は考えないの? それであなたは辞めなかったの?」と私が聞いたところ、「次からは早い時間から上げられるように努力したし、夜でも困ったときに行けば何とか助けてくれる所を事前に作っておきました」とその人は言うのです。
また、別の人は「テレアポ業務でアポが取れなかったら、据置電話の受話器を手にガムテープで巻きつけられ、立ったまま仕事をさせられた。疲れて座りたくなるし、メモも取りにくいから、必死になってアポを取って座れるように努力した」と言いました。
もちろん戦前の話ではなくこの10年の間のでき事で、これは、自由競争がもたらした罪だと思います。
しかし、過酷な営業戦争は営業マンにだけではなく、研究者にも襲い掛かっているのです。
今までは五年かけて研究をして新しい製品を作り生み出していればよかったのに、最近は毎年新製品を生み出さなければならないそうです。
だから、じっくり研究に取り組む事が許されず、研究者の欝や自殺が増えてきていると聞いたことがあります。
何故、新興宗教にしろ、会社であっても、その他組織でも、この様な悲惨な結果を生むのでしょう。
それは、ある空間にいると、服従することしか考えられず、自分で決断することができなくなってしまうのではないでしょうか。
不良青少年団体(どの様な表現をしたら良いのか分からずこの様に書きました)のリンチ事件や、新興宗教団体のお布施で、教祖の指示に従い、配偶者や家族に無断で財産の総てを寄付してしまって一家が泣いて暮らしているなどと良く聞く話です。
それだけでなく、企業内パワーハラスメント、学校内アカデミックハラスメント、どれもこれも根っ子は同じなのではないでしょうか?
これを洗脳されている状態といわずしてなんと表現したらよいのでしょう?
なぜ教祖の言う事をそこまで信じて言いなりになってしまうのでしょうか?
なぜ横暴な上司の言う事を周囲までが聞いていじめをするのでしょうか?
また、権力を盾に弱い者いじめで憂さ晴らしをしているのは何故なのでしょうか?
それは、支配者と服従者それぞれが、各個人の中に、基盤となる考え方の規範がないからです。
総ての判断が損得勘定だから、悪いことでもするし、良い事でもしないし、我慢をして満足しているのです。
つまり、家には大黒柱が必要ですが、その柱となるものがないから、普段はいいのですが有事の場合に大問題が起きてしまいます。
その考えの規範が理念であり信念です。
例えば会津什の掟にある「ならぬことはならぬのです」これが人間の信念になるのです。
人の嫌がることはしない ⇒ 惻隠の情
人に迷惑になることはしない ⇒ 恥の概念
人が喜ぶ事をする ⇒ 礼儀
わがままをせずに周囲のことを考える ⇒義の精神
などが、教えられていないから、信念をもてないのです。
過去の日本軍の一部のみを大きく取り上げて、65年も経った今、こんな日本にしてしまった人間がとやかく言えるでしょうか?
大日本帝国軍は少なくても、国(故郷)に残してきた家族を守るためという信念があって自分以外の人の為に命を投げ出していました。
今現在起きていることは、自分の強欲を満たすためであって、自分以外の人を守るためではないですよね。
やはり、終戦記念日を前日にして、改めて今の日本に道徳教育が必要だと声を高くして申し上げたいのです。
GHQの対策で、私たちは大切な愛国心・道徳(修身)教育・活学(歴史上実在した偉人の生き様を学ぶ)を捨てざるを得ませんでした。
それなら、そのGEQから独立した時、取り戻す必要があったのです。
歴史は勝者によって作られるのは当たり前の事実です。
勝者は聖人や賢者だから勝ったのではなく、喧嘩がつよかったのです。
戦略より、優れた武器を持っていたからです。
つまり、オタクになっていても、発明力があればよかったのです。
それなのに、いつまで経っても必要な愛国心を取り戻さずに今日まで来たのですから、悪いのはGHQではなく、それを決断した日本人の当時の政治家ではないでしょうか?
現在起きていることは、間違いなく過去の結果です。
60年経てば還暦といい、一巡して、総ては始まり(基点)に戻るのです。
だから、今さら66年以上前の戦争の事を持ち出すこと自体、浅はかで無知と言えるのではないでしょうか。
今は前の60年間にしてきたことが結果となって現れてくるのです。
戦前戦中のことはもう終わった事と捉える方が賢いと思います。
だからこそ、自民党だの民主党だのと党を言っておらず、総てが協力して日本の道徳再起を図って、愛国心が高く、安心して暮らせる日本を再生して欲しいと思います。
外国籍の外国に居住する子供に、なぜ育児手当や子供手当てを出す必要があるのでしょうか?
出したければ、出すと決断した人の個人資金で賄ってはいかがでしょうか?
そのくらいの判断ができない政治家や官僚を生んでしまった事に、国民全員が反省する必要が有ると思います。
全員で反省すればよくなると思います。
もう一点を見て、騒ぎ立てるのはやめにしませんか?
憲法9条だって、そこだけを見ていてとやかく言っても、何も解決しないどころか周辺の国々に侵略されてしまいます。
戦争を絶対に興させたくないなら、世界を納得させる必要があると思います。
それには、日本という国が世界にとって必要で大切な国になるのです。
それは、どうしたら成れるのでしょうか?
それを武士道協会で発信して行きたいと思っています。
今、子供たちに道徳教育をしなかったら、子供の将来に幸せはありません。
どうか皆さん協力してください。
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8月10日日記
奈良へ到着し、ご指示を頂いた通りにホテルへチェックイン。
最上階で見晴らしの良い部屋でした。
大きな窓のカーテンを開けると、面前に松ノ木の天辺が届いており、その向こうには小高い緑の山がありました。
その横には龍の形をしたくもが2体浮かび、神秘的な雰囲気が漂っていました。
次の瞬間私は天津祝詞を奏上してました。
その小高い山はは畝傍山で神武天皇陵と橿原神宮でした。
すると突然の雨。
一気の路面が濡れていき、窓ガラスも雫が垂れ始めました。
まるで禊のようです。
到着と同時に橿原神宮にご挨拶に行こうとおもっていたのですが、この雨で諦めてホテルの窓から御挨拶に代えさせて頂きました。
明日早朝に行こうと心を新たに、お迎えにいらして頂けるのをホテルのロビーで待ちました。
今日は葛城青年会議所で講演をさせて頂きました。
組織力に焦点をあてた武士道をお話させて頂きました。
この素晴らしい日本という国家を、力強い国に蘇らせるためには、青年会議所の力が必要だと思いました。
皆さんが熱心に聴いてくださり、私も嬉しかったです。
葛城青年会議所の益々の発展を祈りました。
そして、日本を建て直すには、若者の力が必要だと思いますので、心から期待している次第です。
ホテルに戻ると、ヒノキの温泉があると言われて入りました。
大きなお風呂で気持ち良く、一日がとても充実していました。
2010年8月10日 11:36 PM | 日記 |
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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第九回目のテーマは「大東亜戦争」
祖母が大東亜戦争と言って、母は太平洋戦争と言っていたように思います。
私は学校で第二次世界大戦か太平洋戦争と習ったような気がして・・・とてもあいまいで記憶がありません。
日本の国が国会で決めた言い方は大東亜戦争なのだそうです。
大人になるまでしりませんでした。
学校で勉強している間中、歴史は全然面白いと思わず、苦痛でしかありませんでした。
しかし、今は国史(日本史)が楽しくてなりません。
なぜ国史としたか? 馴染みがない言葉だと思いますが、国語は我々日本人いとって日本語です。
国史は自国の歴史という意味ですから、日本史ということはまるで外国扱いに感じますね。
つまり、日本語の授業と言わないように、歴史も国史と言う方が馴染み深くなるように思うのです。
初めて歴史が楽しくなったのは、実在した人物の生き方を知った時からです。
その人物から夢が広がっていくのを感じました。
学校の歴史では、大東亜戦争は、第二次世界大戦としてパールハーバーを日本が突然不意打ちをして攻撃して被害を与えたと教えられました。
なぜ攻撃したか?の一番大切な部分は『後からつけられた偽りの理由』を教えらてきました。
でも、あまり気にもならず、考えもせず、ただただ歴史はつまらないから、授業が苦痛でしかありませんでした。
それから幾年も過ぎたある日、渡部昇一先生の本を読んで、頭をハンマーで叩かれたような衝撃を受けました。
それから、すっかり国史にはまり、如何に昭和天皇が素晴らしい方だったか、どんな思いで我々の祖先がこの国を守ったか知りました。
でも、未だに『日本が戦争を仕掛けたから・・・』となどと考えられないような時代遅れの言葉を聞きます。
それも、終戦直後に生まれた世代の人たちから聞くことが多いのです。
日本は、戦略の為に戦争はしなかったそうです。
日本は、自国が独立国として存在し、2600年以上も続いた母国を後世に無事に引き渡すために選択をしたそうです。
私は日本人だから、こちらを信じます。
私が今暮らせる日本の為に戦ってくださった先祖の方々の気持ちを考えると、学校で習ったことは信じられないことなのです。
だから、私は、日本を良くするために何ができるかを考え、私たち日本人がみんな幸せになるにはどうするかを考えて、辛い戦争を戦い抜いて守ってくださった先祖の英霊に感謝をして暮らす生活を取り戻したいと思います。
これは一般的に戦後に言われている宗教ではありません。
亡くなったおじいちゃま や おばあちゃま、ひいおじいちゃま や ひいおばあちゃまに感謝をするということです。
明日は広島に原爆が落ちた日です。
朝、起きてから食事の前に黙祷をする人が何人いるでしょうか?
私も今までお祈り(キリスト教ではありません)をしたことはありませんでした。
でも、明日は祝詞を奏上した後で、黙祷をしようと思います。
皆さんはどう思われますか?
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8月3日の日記
参議院議員の山谷えり子先生とお話をさせていただきました。
本当に久しぶりに、お別れし後もスカッとした気分で、今日は最高の日になったと思えました。
こんなに気持ちの良い出会いができた事に、本当に感謝しています。
きっと山谷先生が素敵なお人柄だからだと思います。
山谷先生は
「日本よ、永遠なれ ――止めよう、民主政権の独裁と暴走―― 」
を著作しています。
内容が素晴らしく、今起きている日本の状況が手に取る様に分かります。
マスコミの情報だけでなく、自分達で調べて得ることは、考え方を偏らせないコツだと思います。
2010年8月3日 11:36 PM | 日記 |
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8月2日の日記
10時~19時の一日研修でした。
長い研修で辛いだろうな・・・と思っていたのではないかと思います。
でも、いつも時間が足りないと思うほど早く過ぎ去って行きます。
今日は面白い事に、男女がきちんと別れるのです。
いままでこんなことはないのに、座席も男女別に座っていました。
そして、昼食も男女別に分かれているのをみて、思春期みたいだと言う声も(笑)
毎年その年の色というのが出ますが、今年は面白かったです。
ただ、だんだんと武士道を研修で入れていくと、年を重ねる毎に、理想論的なイメージが強くなっているように感じます。
武士道は決して理想論ではなく、実践したら楽に生きられるようになる便利なツールのようなものです。
ぜひこれを機会に親しんで欲しいと思いました。
みんなの幸せの為に。
2010年8月2日 08:22 PM | 日記 |
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武士道ワンポイントレッスン
19回目のテーマは「徒党を組む・取り巻きを連れる」
自分に自信のない人ほど徒党を組みます。
“取り巻き”も“徒党を組む”のは似たり寄ったりで、かわりはありません。
つまり一人で何かをすることが苦手で、いつも誰かを連れていなければ何もできない人なのです。
本人はそれを対外的には認めませんが、よくよく考えれば心の中で納得するはずです。
同じ部下を連れて歩くのでも、秘書を連れて歩くのと、取り巻きを連れて歩くのは全く違います。
取り巻きはお世辞が上手ですし、絶対に逆らいません。
秘書は意見を言います。言わないような秘書は秘書として役に立ちません。
とりまきが必要な人は権威志向が強かったり、一人で交渉したり、一人で成し遂げたりする自信がない人でしょう。
取り巻きを連れている人は、たいてい弱い人を一人攻撃します。
そして、異性には弱く、権力に弱いから、力のある人にはペコペコしているのが特徴です。
それでは、逆に一匹狼を豪語する人、この人はコミュニケーション能力が不足している人です。
我慢や譲歩、和を保つ事が苦手な人です。
一人でやっていれば調和を図る必要はなく、総てお金で解決できます。
でも人間は、他者の力借りずには何もできません。
本物のジャングルで一匹狼ならすごいと思いますが、都会のジャングルではたかが知れています。
つまり、自給自足ができずに一匹狼などと言うのは、感謝ができないということですから恥ずかしい事です。
都会でも自給自足をしていると言う人は、苗も、種も、買って調達することがあってはなりません。
お金を全く使わないで生活する事が人との接点を絶った自給自足になります。
もう其の時点で他人の力を借りていることになるからです。
人との接点を絶って自分の働きで生きていることは自立(経済的)とは言わず、自己のわがままを認識できていない結果といえるでしょう。
それほどまでに、人間は自分以外の生き物により支えられているのです。
それを理解して、感謝して、恩返しをしたいと思うことが、人間として自力本願であり自律(精神的)しているといえます。
つまり、両極端にはすることは、どちらも良い事ではなくなってしまうという事です。
徒党を組まず、取り巻きを連れず、かといって一匹狼でもなく、みんなと仲良く和を保ちながら一人で何でもできる人。
これが中道を行っていますから、自立も自律もしている人と言えましょう。
是非、総てのことを人を頼らずに一人でやろうと決心してみてください。
そして、コミュニケーションを充分とっても他者に頼らず、総てを一人でやろうと思ってください。
そうすると、何かを一つでもしてもらったら嬉しさがこみ上げてきます。
その時は素直に「ありがとうございます」と言いましょう。
感謝のできる人は、最高のコミュニケーション能力を身につけています。
取り巻きを連れていたり、徒党を組んでいると、どうしても他力本願になります。
そうなるとやってもらえないと文句を言うようになります。
自信がつけば、総てを一人でやろうという気持ちが湧いてきます。
自信は他者に親切をして、ありがとうといわれる事が多くなれば自然と自信がつきます。
自信がないのは自分の事ばかり大切にしているからです。
自分のことを大切にするという中には、良く思われたくて我慢しているのも自分のためですから、入るのです。
同じ我慢も他者のためにしなければなりません。
ぜひもう一度考えてみて、和を尊び、感謝を忘れない生き方をしてください。
それが武士道です。
2010年8月1日 09:20 AM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
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7月31日の日記
茨城県内の優良企業の創立記念講演に呼んでいただきました。
本当に光栄に思っています。ありがとうございました。
200名の方がご出席してくださり、日本人の心・武士道を聞いてくださいました。
小学生の姿もあり、1時間半もの間、きちんと聞いてくださっている姿に感動しました。
益々のご発展を心よりお祈りいたしております。
控室は和室でした。
畳の香と日本茶は疲れを癒してくれます。
うだる様な暑さでした。
水戸で納豆をかってき忘れたことが心残りでした。
仕事は本当に楽しいですね。
最高に幸せな2日間でした。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。
武士道とは道徳(高徳・公徳心)であり、正しい生き方の指針です
一. 仁 (慈悲:惻隠の情=可哀相に思う情けの心・慈悲慈愛)
二. 義 (無私:損得勘定のない判断、労わりの心、公を重んじ無私に生きる)
三. 礼 (礼儀:秩序を重んじる、方便、悟られないように気配りをする)
四. 知 (智恵:知識を身につけ消化して経験を加味し智恵にする、論語読みの論語知らずにならない様にする、知識を振りかざすことを恥とする)
五. 信 (信用:信頼、至誠、嘘をつかない)
六. 勇 (勇気:親切も社会貢献も勇気が生み出す)
七. 名 (名誉:他者のプライドを大切にする事で和が生まれる)
八. 忠 (忠義:忠誠心、誠心誠意対応する)
九. 孝 (親孝行:親や先祖を大切にする、当たり前の事に感謝をする心)
十. 恥 (羞恥心:他者に迷惑をかける事を恥ずかしく思う心)
「和」とは、信念を持って、総てを肯定するところから生まれる
2010年7月31日 11:04 PM | 日記 |
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7月30日の日記
スーパーひたちで水戸へ。
ダイワロイネットホテルに泊まりました。
広いシングルルーム、広いバスタブ、広いバスルーム、大きなベッド、長いテーブルと小テーブル、椅子が二つに加湿器も着いていました。
アメニティも柔らかく使い心地の良い歯ブラシやお茶用のコップもマグカップが2つと日本茶と梅茶が一袋づつついてました。
チェックアウトも11時、朝食も和洋折衷のバイキング、大変満足でした。
ただ、クッションが一つ、或いは、羽枕がもう一つあったら最高でした。
水戸の割烹は、驚くほどお造りの切り身が大きのです。
びっくりするほど大量のお刺身で、食べ切れなかったことが今も悔やまれます。
美味しかったです。
わざわざ女将が挨拶に来てくださり、正座もおつなものだと思えるひと時でした。
2010年7月30日 11:17 PM | 日記 |