惻隠の情

2010年6月18日

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武士道ワンポイントレッスン
10回目のテーマは「惻隠の情」
他者(ひと)の悲しみを自分のこととして受け止め、共に悲しみを分かち合える心。
そして、他者(ひと)の喜びを自分のこととして受け止め、共に喜びを分かち合える心。
文字で読むと簡単そうで、また、自分が幸せな時はとても簡単にできそうなことです。
しかし、自分が幸せではないとき、或いは、望みがなかなか叶わずにいるときなどに、この2つの心を持ち続けることができるでしょうか?
惻隠の情は、いかなる状態のときであっても、持つことに意義があり、そうでなければ惻隠の情があるとは言えないのです。
自分が幸せな時は、他者の不幸をいかにも気の毒に感じて何かをしてあげたいと思うでしょう。
しかし、自分が不幸な時に他者の不幸を知ったとしたら、心の奥底では安心感が広がるはずです。
それが、人間なんです。
そして、自分が不幸な時に、他者の幸福を知ったとしたら、心の奥底では不安と苛立ちが起き、妬みや恨みの感情が沸き起こるはずです。
そう、それが人間なんです。
誰もが間違いなくこの感情を持ってしまいます。
だからこそ、私たちは肉体を持った人間として生を受けて、己の心を大きく広くすることを目的として、高尚になろうと必死に生きているのです。
惻隠の情は、人間にしかない心のあり方です。
でも、人間には難しくて、なかなかこの心境になれずにもがいています。
だから、善良な人か悪人か、できる人かできない人か、を知るには、逆境を共にすると一番わかりやすいと言うわけです。
「善良な人・悪人」と書いて「良い人・悪い人(嫌な人)」と書かなかったのには理由があります。
良い人とは、みんな自分にとって都合の良い人のことを「良い人」と勘違いします。
そして、自分にとって都合の悪い人を「悪い人(嫌な人)」といいます。
悪人でも、自分のして欲しいことをしてくれて、自分を褒め称えてくれれば、良い人になってしまうものなのです。
逆に、自分にとって必要なことを必死に説いてくれている人は、嫌なことを言うからうっとうしい嫌な人になってしまい、悪口や陰口の対象になってしまいます。
最近は、良い人になろう、良い子にならなければ、と思う人が多いように感じます。
でも、良い人になるということは、この様に誰かにとって都合の良い人になろうとしていることであり、決して世の中の役に立つ良い人になろうとしているのではありません。
本当に良い人になりたければ、惻隠の情を身に着けることです。
しかし、自分が望みの叶わない辛いときに、友人の幸せを一緒に喜べる真の優しさを身に着けることは、並大抵の努力や精神力では到達できるものではありません。
だからこそ尊いのです。
もし今、私はできている、と思った方がいらしたら、その方こそ己を知るところから始めなければ、他者の気持ちは全く読み取れないと思います。
人間は己を知ることが一番難しいのです。
まだまだだ・・・と思った方、その方向で進んで良いと思います。
過信せずに、地道に努力することが、必ず生まれてきた目標と目的を果たすに必要なことです。
そして、人間である以上、惻隠の情で人と接することができるようになることは至難の業でしょう。
ほんの一握りの人しか、惻隠の情で他者と接している人はいないでしょう。
でも、そうなろうと努力することはできるし、努力することで近づくことはできます。
それは、きっと大きなうねりとなって、日本という国を良くしていくことでしょう。
大切なことは、幸せである時を基準とせずに、不幸である時を基準として、惻隠の情があるかないかを考えることで正しい判断ができます。
またそうすることで、当たり前がなくなり感謝の気持ちが育ち、より成長します。

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