調息法としての「天津祝詞」

 2021年5月3日新潟県南魚沼の山中で涸れた滝壺を20メートル滑落し、九死に一生というよりも、一度ならず死線を超えて、再びの命を授けられました。少なくとも5つの稀有なラッキーが連続しなかったら、確実に死んでいました。

 5つ目のラッキーは、5月19日に一日掛かりの全身麻酔の大手術を終えて、病室に戻され、執刀医からは「手術は成功したからね」との労いの言葉を頂き、微睡んでいた時のことです。不意に「悪霊」が現れて、私の首をグイグイと絞めつけるのです。左腕は手術で動かせないので、右手で払い除けようとするのですが、幾ら払っても、首を絞めつける力が強まる一方で、本当に息が詰まり、払い除ける元気も萎えて、「折角手術が成功したというのに、こんなことで息絶えてしまうのか」と諦めかけた瞬間に、「そうだ、天津祝詞をお唱えしよう!」と閃きました。

 私が天津祝詞を継承したのは、「合気会勝稲和合塾道場」という合気道場を創設された稲越薫師範からです。先生は、植芝盛平開祖の心と技を大切にされていて、天津祝詞は、開祖が大切にされておられたので、稲越先生は、道場で稽古前には「天津祝詞」と「合氣道の精神」を奏上していました。こんなことをしている合気道場は、世界中に一つだけです。私も塾生として、先生が天津祝詞をコピーしてくれた紙片を目で追いながら、先生の声に合わせるだけで、自分では覚えておらず、意味も分かりませんでした。

 しかし、稲越先生が2018年2月5日に亡くなられ、火葬場でお骨を拾わせて頂いた後の直会の時に、先生の霊魂からの啓示を受けて、「絆・勝稲和合塾道場」として再興させて頂き、塾長を引き受けました。そうなると天津祝詞もコピーを見ながらという訳には行きません。必死で憶えました。それとそもそもどんな意味なのかに興味を覚え、古事記の勉強をしました。そして、その意味も何となく分かり、紙片を見なくても、塾生の先頭に立って奏上できるようになっておりました。

 しかし、悪霊に縊り殺されようになったその時に、なぜ「天津祝詞を唱えよう」と閃いたのかは分かりません。稲越先生の霊魂なのか、開祖植芝盛平翁なのか、ご先祖様たちなのか、天津神国津神八百万の神々なのか、がそうせよ、と命じられたのだと思います。「そうだ、それしかない」と唱え始めたものの、いつもならスラスラと出てくる祝詞の文言が、手術の影響なのか、悪霊との格闘で精魂尽き果てていたからのなか、詰まり詰まりです。ですが、3度、4度、5度ほども奏上したでしょうか。悪霊が掻き消すように退散しました。

 不思議な体験です。後に、悪霊の正体は、全身麻酔の後遺症の譫妄であろうと判明しましたが、あの時の頸を絞められ縊り殺されかけ、息が出来ない感覚は現実のものとして今もまざまざと記憶に刻まれています。

 さて、調息法の「息」とは、無病息災とも用いられます。「天津祝詞」は私を「息災」し、再びの命の道に導いて下さったのです。

 この度、感謝の気持ちを込めて、別添の「天津祝詞解題」をまとめました。私のこの拙い解題が、多くの方々が息災になられる切っ掛けになれば幸いです。

 惟神霊幸倍ませ 

 惟神霊幸倍ませ  惟神霊幸倍ませ                       合掌

天津祝詞解題v0.85

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